ヾ(゜Д゜)ノ"大晦日新聞

「地上波民放」をトヨタが恫喝(COLUMN)

「けなしたらスポンサーを降りるぞ!」。低劣な番組に若者と広告主がそっぽを向く。

 地上波民間放送が惨憺たる有り様だ。東京のキー5局、大阪の準キー5局が11月に発表した2008年度中間決算。「赤字」と「減益」がずらりと並んだ。日本テレビ放送網(NTV)が半期ベースで37年ぶりの赤字転落。テレビ東京も中間決算の公表を始めた02年以来、初の赤字。視聴率トップのフジ・メディア・ホールディングスは、番組制作費の60億円圧縮、通信販売の伸長で黒字を維持したものの、前年同期より46%も減益となった。テレビ朝日も利益が半減。東京放送(TBS)は32%減益と最も「傷」が浅いが、これは東京・赤坂の本社周辺再開発「赤坂サカス」など放送外収益が寄与したもので、本業の放送収入は不振だ。
大阪は文字通り総崩れ。番組と番組の合間に流す「スポットCM」を中心に広告収入が激減し、テレビ大阪を除く4局が赤字に転落。テレビ大阪もイベント運営子会社が好調だったにすぎず、本業の儲けを示す単独決算は2期連続の赤字だ。
地上波民放の経営悪化は広告不況のせいばかりではない。芸能人に依存する安直な番組が、視聴者とスポンサー双方に愛想を尽かされたのだ。
■「北京五輪」でもNHK圧勝
地上波民放のビジネスモデルは、局が制作したい番組をスポンサー企業に提案し、これを了承した企業から制作料・電波料をもらって番組を制作・放送し、消費者たる視聴者に支持される(つまり、より多くの人に視聴される)結果、スポンサーの商品・サービスが売れたり、企業イメージが高まったりすることで成立する。ところが、ここに来て地上波民放の存立基盤ともいうべき良質な番組づくりと視聴者・スポンサー双方の支持が音を立てて崩れている。まともな視聴者が落胆し、スポンサーが首を傾げるような低劣安直な番組があまりにも多いためだ。
08年8月の北京オリンピック中継は、その典型だった。地上波ではNHKが約200時間、民放5局も計170時間の中継を行ったが、結果はNHKの圧勝に終わった。平均世帯視聴率(関東、ビデオリサーチ調べ、以下同)の首位は、NHKの「ソフトボール決勝」(30.6%)。2位には「陸上女子マラソン」(28.1%)で日テレが食いこんだものの、NHKがベスト10のうち九つを占めた。
NHKは勝因について「競技を過不足なく伝えたまで」(報道局幹部)と語る。要は「スタジオでのトークよりも世界の一流選手たちの躍動と日本選手の奮闘ぶりを生々しく伝えるというスポーツ中継の基本に徹したに過ぎない。裏返すと、地上波民放の心得違いが浮き彫りになる。SMAP中居正広(TBS)、水泳金メダリストの岩崎恭子(同)、元プロテニス選手の松岡修造(テレ朝)、元ヤクルト監督の古田敦也(フジ)、元フィギュアスケート金メダリストの荒川静香(テレ東)などの有名人の解説やスタジオでのトークを織り込み、バラエティー番組風に派手に盛り上げる作戦だったが、視聴者は食いつかなかった。誰もが芸能人や門外漢のスポーツ選手の怪しげな分析や空虚な激励よりも、世界のトップ選手たちの生の競技風景を見たかったのだ。
この傾向は北京五輪に限らない。今年度上期(4〜9月)のゴールデンタイム(午後7〜10時)の平均視聴率でも、NHK(13.6%)が初めて全地上波民放を上回った。2位のフジテレビは13.2%。日本放送史に残る「快挙」である。「ニュース7」が安定した視聴率を稼ぐほか、大河ドラマ篤姫」も 20%台半ばと好調だった。ある在京キー局首脳は「我々民放は視聴者ニーズの変化に鈍感になっている」と反省するが、視聴者は低劣番組に飽き飽きしており、もう手遅れではないか。
致命的なのは団塊世代だけでなく、若年層の関心もNHKに向かい始めていることだ。インターネットには若者の感想が飛び交う。「民放は見るものがない。じゃあとNHKを見てみると、結構面白い」「タレントの出番を今の半分に減らして、その分のギャラを良質な番組づくりに使えば視聴率は上がるはず」と辛辣きわまりない。さらに、NHKと地上波民放の視聴率逆転についても「NHKの視聴率は横ばい。民放が落ちただけ」と一刀両断だ。
■「無料CM追加」が上陸か
CMを提供するスポンサー企業も地上波民放の体たらくに業を煮やし、実力行使を始めた。我が国最大のスポンサー、トヨタ自動車奥田碩相談役は11 月12日、首相官邸で開かれた「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」の席上、厚労省に関する批判報道について、「あれだけ厚労省が叩かれるのは異常。私はマスコミに対して報復でもしてやろうかと(思う)。 スポンサー引くとか」と発言した。
さらに「大企業はああいう番組のテレビに(CMを)出さない。ああいう番組のスポンサーはいわゆる地方の中小(企業)」と話した。他の委員が「けなしたらスポンサーを降りるというのは言いすぎだ」と諌めると、奥田氏は「現実にそれは起こっている」と述べ、番組への不満を理由に企業が提供を降りる実力行使に出ている事実を明らかにした。
トヨタは広告の「費用対効果」にもメスを入れ始めた。米3大ネットワークの一角、NBCと新しいCM契約を結び、番組が視聴者の関心を引きつけられなかった場合、局に無料で追加CMを放送させることにした。スポンサー企業にとって極めて有利な契約だ。トヨタ幹部は「テレビCMは本当に効果があるのか、見極める必要がある」と言い切る。これまでテレビCMは効果が十分に実証されないまま制作、提供されてきたが、今後は我が国でも費用対効果のチェックが厳しくなるだろう。「CM投下額ナンバーワンのトヨタが動けば雪崩が起きる」(日用品メーカー幹部)。広告収入が激減するなか、米国流の「無料CM追加」措置が日本に上陸すれば、地上波民放は大打撃を受ける。
博報堂シンクタンクがまとめた「2008年メディア定点調査」によると、1日あたりのメディア接触時間自体が減少している。このうちテレビの占める割合は今かろうじて5割。早晩5割を切るだろう。なかでもテレビCMが購買行動に結びつきやすい、スポンサー企業にとって狙い目の「F1 層」(20〜34歳の女性)のインターネット、携帯へのシフトが著しい。これが広告収入激減の根底にある。ターゲット層がろくに見ていない番組にCMを出し続けるほど企業は甘くない。
CMをスキップ(飛ばし)できるHDD内蔵型ビデオの急速な普及も強烈な逆風だ。視聴者のCMスキップ率は05年時点で64.3%(野村総合研究所調べ)。現在では70〜80%に達しているようだ。ソニー幹部は「うちの大学生の子供はどんなに時間があってもテレビは生で見ず、HDDでCMを飛ばしてから見る」と頭を抱える。若者にとってCMはもはや「邪魔者」。CM飛ばしによるスポンサー企業の損害額は、05年時点で年間540億円、現在では700 億円に達した模様だ。ネット先進国の米国ではNBC、ABCなど5大ネットワークの視聴者の平均年齢は「50歳」になっている。日本の地上波民放の明日の姿だ。
気がつけば若者に見放され、カネを使わない「F3層」(50歳以上の女性)、「M3層」(50歳以上の男性)しか見ない地上波民放。NHKには視聴料という収入源があるが、民放の命綱であるスポンサーはF3、M3相手の番組に財布をはたく道理がない。低劣で安直な番組に胡坐をかき、若者と広告主に見捨てられた地上波民放はさまようばかりだ。



東京新聞社説】
晦日に考える 危機を転機にしたい
2008年12月31日
 大変な一年でした。無差別殺傷事件の多発、食品不安の連鎖に世界経済危機が続きました。でも危機の時こそ新たな社会づくりの好機ではありませんか。
 高校や大学の奨学金を希望する生徒が増加する一方です。病気や災害、事故、自殺などで親を失った遺児を支援するあしなが育英会(東京)によると、十年前に千五百人足らずだった新規出願者は今年になって二倍に達しました。
 これに伴って、奨学金の貸与額も増えるばかりです。この十年間の増加額は約十億円にもなっています。育英会の職員は言います。
 「奨学金の原資となる皆さんからの寄付金は減っていないが、希望者の急増に追いつけません」
◆社会的弱者にしわ寄せ
 背景には親の収入の減少があります。十年前の遺児の母親の年間勤労所得は約二百万円で、一般サラリーマン家庭のそれの43%だったのが、一昨年では百三十七万円(32%)にまで激減しています。
 この結果、遺児母子家庭の四世帯に一世帯の遺児が進学をあきらめるなどの進路変更を余儀なくされています。
 一方で、米国発の金融危機に始まる世界同時不況で派遣労働者期間従業員の解雇が相次ぎ、社会問題化しています。「派遣切り」です。教育費に困窮する遺児に限らず、社会的弱者が経済危機の直撃を受けているのです。
 そんな中で、〓然(あぜん)とした二つの新聞記事があります。
 一つは、米国で公的資金による資本注入を受ける金融機関の経営陣が昨年、一人当たり平均して約二百六十万ドル(約二億三千万円)の報酬を受け取ったと報じられたものです。最高額は証券大手メリルリンチ最高経営責任者の七十四億円です。あしなが育英会なら彼一人の報酬で二万人近い生徒の一年間の奨学金がまかなえます。
◆「不義にして富まず」
 もう一つは、トヨタ自動車キヤノンなど日本を代表する大手製造業十六社が計四万人の人員削減を進める一方で、利益から税金や配当金などを引いた内部留保の合計額が三十三兆六千億円にも積み上がったとの記事です。
 そんなに余裕があるなら、なぜ従業員の雇用確保に使えないのでしょうか。従業員の生活安定を図るのは企業市民の責務です。人間は機械でもなければコストでもありません。切れば赤い血が噴き出ます。企業も人間の集まりです。
 人間を尊敬する経営、人間の集団としてのモラール(士気)を高め、経営の効率性を上昇させていくことこそが、企業人の使命ではありませんか。「不義にして富まず」。ある老舗の社訓です。
 ところが、市場原理による新自由主義の舞台は不義と欲望が支配したようです。米国の低所得者向けのサブプライムローン問題は、証券化と格付けにより、あくなき利益追求の巨大マネーゲームと化し、金融と消費の世界的な大混乱を引き起こしてしまいました。
 日本も例外ではありません。小泉政権時代に始まる市場競争原理が新貧困層を生み、勝ち組と負け組の格差をつくり出し、現代社会に大きな歪(ゆが)みをもたらしたのです。振り返れば、今年の大ニュースにも通底するものがあります。
 大分県教委では教員採用や昇進を売買する汚職事件が起き、金もうけのための食品偽装事件も相変わらず多発しました。東京・秋葉原の無差別殺傷事件も、人間をコストとみる風潮が影を落としているとの指摘があります。妊婦死亡など医療崩壊も顕在化しました。これも医療費の削減や、産科、小児科医師の不足をもたらした規制緩和が背景にありそうです。
 こうした危機の出現は、経済功利主義にもう終止符を打ち、人間中心主義にかじを切る転機だと教えているのではありませんか。
 国の針路を考えるのは政治の役割です。でも、麻生太郎首相が支持率の低迷にあえいでいるのは、日本の将来像を明確に提示し得ないことへの批判の表れです。
 一つ提案があります。評判の悪い総額二兆円の定額給付金について、個人が自由に使える仕組みの構築です。
 自分のために使ってもよし、あしなが育英会など教育や医療、福祉の団体や施設に寄付してもよし。地域の清掃やイベントの費用にしてもかまいません。多様な使途メニューを示すのです。
◆命に付く名前を「心」
 ばらまきのお金を生かしたいのです。昔の「講」のような相互扶助組織や、ボランティア団体の創設に役立ててもいいでしょう。
 中島みゆきさんに「命の別名」という曲があります。「命に付く名前を『心』と呼ぶ/名もなき君にも/名もなき僕にも」
 人の命や「心」が随分と粗末にされた一年でした。来年こそ大切にされるよう変化を望みます。
※〓は唖の旧字体