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さらばツーカー・5人の元社員が語る15年の歩み<Column>
 3月は1日にディズニー・モバイル、28日にイー・モバイルの音声サービスと2つの携帯電話事業が新たに立ち上がる一方で、KDDIツーカーが31日にひっそりと停波された。1994年に開業したツーカーセルラー東京ツーカーホン関西ツーカーセルラー東海の3社のサービスは約15年を持って幕を閉じた。
 これまでの15年間を、かつてツーカーに在籍していた社員たちはどのように振り返るのか。サービス終了日となる3月31日に元ツーカー社員5人に集まってもらい、それぞれの「ツーカー」について語ってもらった。
 集まってもらったのは、元東京が3人、元東海が1人、元関西が1人。ツーカーは2005年10月にKDDIに合併されたため、いずれも今はKDDIに在籍している。まず「ツーカー時代、会社で最も輝いていた瞬間は?」という質問をすると、地域や担当業務が異なるためか、それぞれ違った答えが返ってきた。
■「早くプリペイドを始めていれば…」
 元東海出身者が一番に挙げたのは、1998年に東海が先陣を切って投入した無料通話付きプラン「フリートーク」だった。「4月に始めて当時としては驚異的な新規契約6万件という数字を出した。5月も売れて、営業的にはイケイケだったが、このまま売れると収益が大変なことになるということで、6月にはブレーキを踏んだことがあった」という。
 東海の加入者数は最高で99万2000件まで行ったが100万件に届かなかった。「100万件が目標だっただけに、残りわずかで到達できなかったのは、とても残念。もうちょっと早めにプリペイドを始めていればよかった。無料通話付きは当時、他社もやっていなかったので、最初にやれたのは大きかった」
 元東京出身者もよく覚えているのは1998年のことだった。「1998年5月に、累計稼働数が東京デジタルホンに並んだ時期が印象深い。月額3800円で無料通話が1400円分含まれた『しゃべロープラン』を出してどっと売れた。一瞬だったが、東京デジタルホンを抜いたのは嬉しかった」と当時を振り返る。
 実際、1998年5月末にはツーカーセルラー東京が104万4000件と、104万3000件の東京デジタルホンを追い抜いたが、その2カ月後には逆転されてしまう。
■「ハリソン君もツーカーや!」があだに
 関西は特に広告宣伝が派手だったのが記憶にあるという。「開業のころはインフラはまったくできていなかったが、広告宣伝は本当にすごかった。ハリソン・フォードジャネット・ジャクソン、ブラッド・ピッドを起用して、ブランドを認知させようと躍起だった」
 当時、関西で放映されていたCMでは、ジャネット・ジャクソン団地のベランダで布団を叩いているところに、関西のおばちゃんが通りかかり、「あ、ジャネットさんもツーカーや!」と叫んでいたという。
 ハリソン・フォードを自転車に乗せ、「ハリソン君もツーカーや!」というのもあった。しかし、「あれでだいぶ財務内容を傷つけた」(元関西出身者)という。
 関西でも東京、東海と同様に無料通話付きプランを投入したが、あまりヒットはしなかった。しかし、「ツーカーV3」というプランを出して、人気は最高潮となった。「ツーカーV3」は2000年に登場。基本料金が1700円、通話料金は30秒7円(平日夜間、土日祝の終日)、メール送信料1回1円という関西限定のプランだ。
 「他のツーカーが無料通話付きを出してきたが、関西ではほとんど売れなかった。関西では土地柄、『オプションがついてお得』よりも『とにかく基本料金が安い』ほうが受け入れられた」のだという。
■「キャラケー」の先駆けはツーカー
 別の元東京出身者は、契約者数ではなく発表会が印象に残っていると語る。「2001年に、派手な発表会をしたfunstyle。ライブハウスで浜崎あゆみを呼んだことを鮮明に覚えている」
 funstyleは当時、3和音や4和音、16和音などが一般的だった着信メロディを64和音で再生できるという端末だった。MIDI音源を用いており、音楽ケータイの先駆けと言える機種だった。
 ツーカーは、意外と個性的な端末を出していたキャリアでもあった。「メーカーオリジナル端末はツーカーが最初。京セラ『ビバボ』は音声認識機能でアドレスを呼び出せるのが売りだったが、マイクの感度が悪くて、他人が呼び出されてしまうこともあった」(元東海)。
 「浜崎あゆみモデル」や「フェラーリケータイ」、関西は阪神タイガースモデル、東海はドラゴンズモデルといった、いまではソフトバンクモバイルがお得意としている「キャラケー」もツーカーが先駆けている。
 ジョグダイヤルでアドレスを呼び出せる「ソニーTH241」といった名機もあったし、メール端末「カーラ」というのもあった。「カーラは大失敗だったなあ」というため息混じりの独り言が聞こえてきたのは面白かった。
■「シンプル路線しかなかった」
 ツーカーと言えば、後半は「シンプル路線」を突き進んでいった。しかし、それは「その路線しか行く道がなかった」(元東京)というのが、正直なところなのだという。
 「他社が高機能路線を突き進むなか、ツーカーは携帯電話規格『PDC』で設備投資も思うようにできなかった。NTTドコモなどは全国で一括購入していたので、ロット数が多く端末も安く購入できていた。しかし、ツーカーは東名阪の3社しかなく、端末を大量に購入できない。端末価格が高騰するなか、厳しい状況に追い込まれた。少ない台数でやろうとすると、必然的に安い端末開発をせざるを得なくなった」(元東海)。
 当時、東名阪はツーカー、それ以外の地域はデジタルホンの主要出資者である日本テレコムと、ツーカーの出資者でもある日産自動車合弁会社デジタルツーカー」がサービスを手がけていた。しかし、日産自動車が経営悪化によりデジタルツーカーの株式を日本テレコムに譲渡。デジタルホンデジタルツーカーが「J−フォン」として全国ブランドになる一方で、ツーカーは3社体制となってしまう。一部メーカー端末は全国規模で調達できていたのが3社のみとなり、さらに端末調達の数が少なくなってしまったのだ。
 さらに追い打ちをかけたのが第3世代携帯電話への流れだ。NTTドコモ、KDDI、そしてJ−フォンが第3世代携帯電話の免許を取得したが、ツーカーはPDCで行くことを決めた。
 「メーカーが3Gにシフトしていくなかで、PDCの開発リソースが小さくなってきた。システムが違うので、端末価格も上がってくる。それでも違う路線を突き進まなくてはならない。ほかの3グループとは別の道を歩もうとして、出てきたのがシンプル路線だった」(元東京)。
■メーカーがPDCの開発引き上げ
 ツーカーにとって生き残るための道がシンプル路線であったわけだが、主婦などを中心にニーズは確実にあった。当時、ツーカーセルラー東京の社長であった津田裕士氏は「日本の市場は過当競争に突入しており、事業者としてのすみ分け、差別化が必要だ」と考えていた。事業者としてあるべき姿を追求したのが、狙った市場を明確にしてコンセプトを共感してもらえる人を獲得していくという後期のツーカーだった。
 「ユーザーニーズに特化してやっていくことがツーカーはうまかった。マスではなく狙った市場に対して投入するという手法をとったのはツーカーが最初ではないか」(元東京)。
 その後、ツーカーはシニア市場向けにシンプルな通話専用端末「ツーカーS」を投入し、独自路線をさらに切り開いた。いま、日本の携帯電話市場は1億件を突破し、成熟していると言われている。それだけにツーカーがなくなるのは残念な限りだ。
 「シンプル路線を進んだことで、事業的には健全な状態になっていた。そのまま会社を生かすことも可能だった。しかし、やはり各メーカーがPDCの開発リソースを引き上げただけでなく、交換機やネットワークなどのリソースを維持することができなくなったために合併、整理するしかなかった」と元東京出身者は振り返る。
 「事業やサービスは成功していた。だからこそ、KDDIと合併ができた。当時のKDDIは財務も盤石ではなかったが、ツーカーが事業として成功していたからこそ、合併ができたのだと思う」(元東京)。
■「auに残したツーカーのDNA」
 4月1日0時過ぎ。停波され、もう使えなくなってしまったツーカーのサービス。
 インタビュー中、もっとも印象に残った言葉は、元東京出身者が語ってくれた次のフレーズだ。
 「ツーカーブランドがなくなるのには寂しさがある。しかし、auにとっては最終的に、使いやすい料金、シニア向けケータイなど、かつてなかったものを、ツーカーから吸収できたのは大きい。auのなかにツーカーのDNAが残せたことは、本当によかった気がする」



公益法人役員報酬、個別公表へ・政府方針、まず1000団体
 政府は国や都道府県が所管する公益法人(社団法人、財団法人)について、各法人の役員報酬を役職別に公表させる方針を固めた。道路特定財源などの不適切な支出が指摘されるなか、公益法人への批判が強まっていることも踏まえた措置。総務省を中心に具体策を詰めており、今月末にも各省庁が所管法人に指示を出し、準備が整ったところから順次、公表に踏み切る段取りだ。
 福田康夫首相が進める公益法人の見直し策の一環。公益法人の数は2006年10月1日時点で約2万4000に上る。このうち国から補助金などを受ける約1000法人は現在、報酬額の算定基準となる俸給表などは公表しているが、具体的な金額は開示していない。



首相「温暖化対策に国民も参加を」・サミット会場で温暖化懇
 政府は5日午前、有識者による「地球温暖化問題に関する懇談会」の第2回会合を、7月の主要国首脳会議(洞爺湖サミット)の会場である北海道洞爺湖町のホテルで開いた。前日夜に同町入りしていた福田康夫首相も出席。2050年に世界全体の温暖化ガスを現状から半減させるために必要な制度や新技術などを検討する。
 首相は懇談会の冒頭で「温暖化問題は単に産業界が頑張ればいいだけではない。ライフスタイルの変革など、国民にも参加してもらわなければならない」と指摘。懇談会では、国内排出量取引や税制など政府が取るべき対策を専門に議論する「政策手法分科会」を新設することで合意した。
 懇談会に先立って首相は、サミットの際に各国首脳の配偶者が見学する施設や昼食に使う真狩村のフランス料理レストランを訪れ、準備の状況を確認。留寿都村に建設中の国際メディアセンターも視察した。



ODA、外相「増額めざす」・G8開発相会合が開幕
 途上国の開発支援などを協議する主要8カ国(G8)の開発相会合が5日午前、都内で開幕した。議長の高村正彦外相は会合の冒頭で、日本の政府開発援助(ODA)の実績が2007年に前年比3割減ったことを指摘したうえで「減少傾向を底打ちさせ、反転をめざす決意だ」と、増額への強い意欲を表明した。
 会合では気候変動分野における途上国支援や新興援助国との協力関係の構築などを議論し、6日に議長総括をまとめる。7月の洞爺湖サミット(主要国首脳会議)に向けた地ならしとの位置づけで、日本の指導力が試されそうだ。



6大銀、前期4割超す減益・サブプライム損失7000億―8000億円
 大手銀行6グループの2008年3月期決算は合計の連結純利益が1兆5000億円規模と、前年比4割超の大幅減益になったもようだ。純利益は3年ぶりの低水準。米国の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)関連の損失が7000億―8000億円に達し、貸し出しなどの本業も低迷した。06年3月期の過去最高益から、2期連続の減益に落ち込む。
 大手6グループは三菱UFJ、みずほ、三井住友、りそな、住友信託、中央三井トラスト。08年3月期の当初は合計で2兆5000億円強の連結純利益を想定。07年3月期の2兆8000億円強には届かないものの、高水準の業績を見込んでいた。